五郎八姫の隠れキリシタン説は本当?仙台市栗生にある薬師堂が意味する伊達政宗の娘の秘密

伊達政宗と正室愛姫の間に生まれた長女、五郎八姫は、実は隠れキリシタンだったと言われています。
その証拠というか痕跡が残っているのが、宮城県仙台市栗生にある薬師堂と鬼子母神堂です。
今回は、その1つの「薬師堂」を遊学旅行VIEWでご紹介します!
このブログの内容は
仙台市青葉区にある栗生は隠れキリシタンの里だった?!弾圧が最も厳しかった時代を生きた五郎八姫
五郎八姫は6歳の時に徳川家康の6男である松平忠輝と婚約、13歳で結婚をしたのですが、夫婦仲はとても良く、結婚後は松平忠輝の領地である高田藩(現在の新潟)で幸せに暮らしていました。
ですが五郎八姫が23歳の時に、大坂夏の陣での働きが悪かったことなどを理由に忠輝が領地を没収&追放され、離婚することになってしまいます。そして父である政宗がいる仙台に戻り、仙台城の二の丸の西屋敷に住むようになりました。
政宗の死後は、蕃山のふもと栗生西館にて生活していたそうです。なぜならそこは、夫だった忠輝と暮らした高田藩の面影があったからだとか♡
そして、もう1つ。五郎八姫がここ栗生に住んだ理由は、隠れキリシタンの里だったからとも言われています。
仙台市栗生の薬師堂は五郎八姫が建てたお堂だった!?
仙台市青葉区栗生には、閑静な住宅街の中に「薬師堂」という小さなお堂が建っています。
ここは五郎八姫が住んでいた西館から10分程の距離にあるのですが、元々この場所には万代山薬師寺というお寺があって、この薬師堂は五郎八姫が地域に住む人たちの為に寺内に建てたと言われています。
薬師寺が廃寺した後も、この薬師堂だけは地域住民によって現在まで守られていて、堂の他にも敷地内には古い石碑が色々とありました。
公園が直ぐ隣にあって、息子は公園で遊び、母は息子のはしゃぎ声をBGMに拝んできました!
ASAMI
薬師堂が五郎八姫が隠れキリシタンだった証拠!?
実はこの薬師堂の中には「ローソク食い」という日本の仏像とは違った表情の木像が納められています。
実は、このローソク食いは、隠れキリシタンの里の名残とも言われていて、キリシタン弾圧の最も厳しかった時代でも堂々とお参りできるよう、五郎八姫と当時の人々が木像の下唇あたりにロウを垂らして、十字を隠していたと言われています。
現在もお堂の中にロウソク食いが納められているのですが、その隣には拓本が並んでいて、拓本には、十字模様が確認できました。
実は自分でも覗き込んで自分の目でも確認し写真も撮ったのですが、なんか胸騒ぎがして写真は消してしまいました。是非、ご自分の目で見てきて欲しい!
ASAMI
仙台市青葉区栗生の薬師堂の住所・地図・詳細
正式名称 | 薬師堂 |
住所 | 〒989-3122 宮城県仙台市青葉区栗生5丁目9 |
電話 | なし |
公式HP | なし |
備考 |
最後に
キリシタン弾圧の厳しかった時代。一歩間違えたら自分の命が危なかったにも関わらず、地域の人達と共に信仰を続けたとされる五郎八姫。
この栗生の地区には、他にも五郎八姫が隠れキリシタンだったと思わせる鬼子母神堂と五郎八姫が住んでいた「西館跡」があります。
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