宮城県の白石城を観光!片倉小十郎や真田幸村との深い関係が学べる楽しみ方

宮城県南部の白石市にある“白石城”に行ってきました!ここ白石市は白石城の城下町として繁栄し、武家屋敷や寺院などの史跡が今も多く残る町として知られています^ ^
あの人気NO.1の戦国武将、真田幸村と白石城の秘密の関係や、白石城周辺の見所やの面白さ、歴史をわかりやすくまとめてみました^ ^
白石城の歴史
白石城の歴史は意外にも(笑)古く、平安時代に遡りまります!白石城は、白石氏の居城として創られたのが始まりらしいのですが、史料にはっきりと出てくるようになるのは、豊臣秀吉が関白から太閤となった1591年。城主が蒲生郷成という武将になった時からです。
この時、名を「益岡城」に改め、上方の築城技術を取り入れ、織豊系城郭としての白石城を築いたそうです。蒲生氏は本拠の若松城、三春城や守山城、二本松城など各地の支城に織豊系の石垣を築いていることが知られています。
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1598年に上杉景勝の家臣、甘粕清長という武将が城主になります。1600年の関ヶ原の戦いでは、白石城は上杉氏と伊達氏との壮絶な攻防戦の舞台となったそうです。
その後、1602年に伊達政宗の重臣、片倉小十郎景綱が白石城主となり、それから明治維新までの260年くらいの間はず〜っと片倉氏が白石城を守りました。
明治維新には奥羽越列藩同盟がここ白石城で結ばれるなど日本の歴史の変転期には一役を担う重要な城となりましたが、1874年(明治7年)に解体されました。
伊達政宗の片腕として名をはせた片倉小十郎景綱の偉業を偲んで、平成7年に三階櫓(天守閣)と大手一ノ門・大手二ノ門が史実に忠実に復元されたのが、今の白石城です!
白石城の見所
白石城を見学する際は、復元された三階櫓や石垣、縄張り構造、城下町も合わせて見学するのがおすすめです!
現在作成中(^^;;
白石城の城主片倉小十郎と真田家の間で結ばれた極秘の関係!
戦国時代ブームの私が、1番興奮したポイントが白石城の城主でり伊達政宗を支えた片倉小十郎と真田幸村(信繁)の関係でした♡
真田 信繁は、日本一の兵と言われた、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将です。豊臣家が滅び、真田幸村本人も命を落とした戦い「大阪夏の陣」では、敵である徳川家康の本陣まで攻め込み勇敢な活躍をし、彼の死後もも江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、現代でも広く知られている人気者です♡
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実は真田幸村、大阪夏の陣で討ち死にする寸前に、自分の子ども達を保護してもらっていたんです。その大切な子ども達の保護を託したのが、敵側であった片倉小十郎(重長)であり、子ども達が保護されて育った場所こそが、この白石城だったんです!
保護された説は諸説あり、生け捕りにされたとか、幸村の子とは知らずに略奪されたとか色々あり、史実などでも残っている1番の有力は略奪だそうです。でも私は夢とロマン、そして人情溢れる保護された説を信じています(笑)
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そんな幸村の子どもは、次男の大八と三女の阿梅です。
大八|真田幸村の次男のその後
大八は片倉家の家臣となり、徳川側に生き残っていることがバレないように、片倉守信を名乗り、仙台真田家の祖になりました。
大八から8代後の子孫、真田幸歓が真田姓に戻したそうで、現在も仙台真田家として続いています。
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阿梅|真田幸村の三女のその後
そしてなんと娘の阿梅は、片倉重長の側室となり、正室が亡くなったあとは、後妻(継室)に迎えられました!
白石城観光レポ
復元される城は、コンクリートなどで復興されている天守なども多いのですが、白石城は昔のまま、木造にて再現され、戦後に復元された木造天守としては日本最大級なんだそうです。
幸村の遺児たちが保護されて育った二の丸は復元されておらず、跡地として残っています。
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白石城は無料コスプレ遊びができる!
ちなみに、白石城では無料のコスプレができました!



羽織や刀を実際に身につけることができ、写真撮影!雰囲気を楽しんで、ご満悦のひとときでした。祝日にも関わらず空いていて、城内の見学もゆっくりできました。
大八と阿梅のお墓|白石城周辺を観光
その他にも、白石城の周辺には大八と阿梅のお墓がある「当信寺」という場所がありました。
ここは駐車場がないのですが、白石城から徒歩4.5分で来れるので、白石城から歩いて行くのがおすすめです!
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先ほど、お目にかかれず残念に思っていた白石城の二の丸は、ここ当信寺の門が、白石城の二の丸の大手二の門(東口門)を移築したものだそうです!
お墓は、お寺の裏側にありました。
左側が真田幸村の娘、阿梅の墓。右側が息子、大八の墓です。
阿梅の墓が変形しているのは「虫歯の仏」として信仰され、墓石を削り取って歯につけると虫歯が治ると迷信が広まり、削りとられたからだそうです(笑)
阿梅は生前、虫歯に苦しんできたそうで、「たとえ仇の子でも、歯の苦しみだけはさせたくない」とまで語っていたそうです。
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ちなみにこの当信寺は阿梅の位牌を納めている寺で、阿梅の木床義歯を公開したこともあるそうです。
この時代は、木で入れ歯を作っていたんですね!っというか、この時代には既に入れ歯があったことにも驚きですが、調べてみると日本最古の木床義歯は、天文7年(1538年)4月20日に74歳で亡くなった和歌山市の願成寺、仏姫字という尼僧のもだそうです!
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そして寺のお賽銭箱には、六文銭が!
真田の家紋ですから、なんか嬉しくなっちゃいますね♡
まとめ
ちょっと雑学ネタが多すぎて白石城の写真も少なく、レポが不十分でごめんなさい(^^;;
頭が冴え、徳川家康をあと一歩のところまで追い詰めた偉大な人物、真田幸村と白石城の関係が少し伝わったら嬉しいです!
白石城付近には他にも、片倉家武家屋敷や片倉家墓、真田幸村の墓(供養塔)等、たくさんの見所があるので、是非また行ってみたいものです。