【五郎八姫の逸話】仙台市栗生の鬼子母神堂レポ!伊達政宗の娘は隠れキリシタンだった

伊達政宗と正室愛姫の間に生まれた長女、五郎八姫は、実は隠れキリシタンだったと言われています。
その証拠というか痕跡が残っているのが、宮城県仙台市栗生にある薬師堂と鬼子母神堂です。
今回は、その1つの「鬼子母神堂」を遊学旅行VIEWでご紹介します!
仙台市青葉区栗生の鬼子母神堂レポ!五郎八姫は隠れキリシタンだった?
仙台市青葉区栗生にある鬼子母神堂は、閑静な住宅街の一角にあります!
このお堂の中には、右手にざくろ・左手には赤ちゃんを持った木像の鬼子母神が納められているのですが…ザクロは聖母マリアの復活と再生と節に対する希望のシンボルと言われています。
そしてもっと興味深いものがあって、この鬼子母神堂では250年以上も前から現在まで、旧暦の8月14日に奇妙なお祭りが行われているんです。
そのお祭りは、地域全体でするにぎやかなお祭りではなくて、近隣の家住数軒だけの限られた家のものだけで、人目をしのんでする奇祭です。
お祭り当日は、夕方にナルト家族は戸締りをして話をせずにひたすら夜になるのを待つそうです。そして人の出入りがない夜中に、家長がお供え物を持って縁側から静かに外に出て、誰にも会わないように鬼子母神堂へ向かうんだそうです。家長が戻るまでは家族も話をすることは禁じられている…そんなお祭りなんだそうです。
ASAMI
令和時代に入ってから、こんな石碑が建てられていました!きっとこのお祭りを守っている方達がザクロの植樹と共に建てたんですね。
この祭りの歴史はとても古く、安永風土記という、江戸時代の安永期に仙台藩が領内の村々の様子を把握するために書上げさせたものにも、この祭りのことが書かれているそうなんですが、いつから始まったかは、この書記が書かれた時点でも不明なんだとか。祭りの始まりはもっと昔だったんですね〜。
どうしてひっそりと行わなければならなかったのか…このお祭りが“隠れキリシタンの行事だったから”と考えると、色々な点が線で繋がって面白いですよね。
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鬼子母神とは?
鬼子母神とは、お釈迦様が説いた「法華経」というお経のなかに説かれる神様で、安産や子どもを守護する天女様です。
もともとは500人の子の母だったのですが、その子達を育てるために…実は人間の子どもをさらって食べていたんだとか!
人間たちはその悲しみをお釈迦様に相談し、お釈迦様は彼女の末子を隠して我が子を失う悲しさと命の大切さを説きました。
鬼子母神の像は手にはザクロを持っている姿が多く、その理由を「ざくろは人の肉の味がするから、子供を食べられなくなったかわりに食べている」と言われていますが、実はそうではなくて、ザクロの実の中には沢山の種がなることから、子孫繁栄をあらわす縁起の良い果物だからだそうです!
そして改心した鬼子母神は、全ての子ども達とお釈迦様の教えを守ることを誓い、子育てや安産、子どもを守護する善神となったそうです。
仙台市栗生の鬼子母神堂の住所・行き方・地図など
正式名称 | 鬼子母神堂 |
住所 | 〒989-3122 宮城県仙台市青葉区栗生5丁目19 |
電話 | なし |
公式HP | なし |
最後に
キリシタン弾圧の厳しかった時代。一歩間違えたら自分の命が危なかったにも関わらず、地域の人達と共に信仰を続けたとされる五郎八姫。
この仙台市の栗生の地域が「隠れキリシタンの里」だった説をを裏付ける証拠はどこにもないのですが、鬼子母神堂や鬼子母神祭の風習、そして前回レポした五郎八姫が建てた薬師堂のろうそく食い木像など、隠れキリシタン説を匂わすものが、今も栗生には残っているんです!
是非、行ってみてください♡