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越前大野城に子供と登る!福井県の観光スポット雲海が広がる天空の城の見所をわかりやすく紹介

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WEBデザイナー×トラベルライター×秘書 大切なことは全て遊びながら学ぶ!人生楽しんだもん勝ち家族の取り組みを発信している、人の目を気にするくせに縛られるのが苦手な寂しがり屋の自由人ASAMIです。
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雲海に浮かぶ神秘的な「天空の城」として竹田城跡が有名ですが、雲海に浮かぶ城は、他にもあるのをご存知ですか?

今回はそんな「天空の城」の1つ、福井県大野市にある「越前大野城」に子連れで行ってきました^ ^

越前大野城の見所や楽しみ方、そして雲海の様子、子供連れで行くときの注意点や楽しみ方をご紹介します!

越前大野城って?

画像引用元:公式サイト

福井県大野市内にある標高249mの亀山。越前大野城は、その山の上に立っています。

越前大野城の初代城主は、金森長近かなもりながちかという、あの織田信長に仕え、彼の母衣衆ほろしゅうとして活躍した武士です。

母衣衆ほろしゅうとは、織田信長が馬廻(信長の馬の周囲に付き添って護衛や命令の伝達、決戦兵力として用いられた武家の職務制度の1つ)から選抜した、信長直属の使番のことなんですって!

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1575年に長篠(愛知県)織田・徳川連合軍と武田軍が衝突した長篠の戦い、そして同年に越前(福井県)で起こった越前一向一揆で功績をあげた金森は、1575(天正3)年に、織田信長から越前大野郡に領主として土地を与えられます。

その翌年にもともとその土地にあった戌山城いぬやまじょうに居城しました。でも、時は戦国時代。日本中が戦をしていたので、敵が攻めにくいようにその近くの亀山という小さな山の頂上に城郭を築き始め1580年に完成したのが越前大野城です。

目まぐるしく変わった城主!越前大野城

越前大野城の城主は、築城から明治5年(1872)に入札によって本丸が商人など20人以上に払い下げられ、約290年の大野城の歴史に幕を下ろすまで、実に19人もの人が務めました!

築城した金森長近かなもりながちかほか、豊臣秀吉の従兄弟である青木一矩あおき かずのりや信長の孫である織田秀雄おだひでかつなどもいました!

現在の天守閣は再建!でも石垣は…

残念ながら越前大野城は、1873年(明治6年)に石垣を残して壊されています。なので、見れるのは1968年(昭和43年)に再建されたものです。

でも石垣は当時のまま残されていて、間近でみることができます♡

野面積みのづらつみという工法が用いられていて、自然石を加工しないで積み上げた古い形式の石垣です。 すき間には詰め石があったりで、雑に見えたりもしますが、短期間で築けたり、水はけがよく風化しにくかったりと、頑丈な石垣なんだそうです。

天空の城「越前大野城」を見るのは困難!?雲海を見るために絶対知っておくべきこと

もともと恐竜博物館に行く予定で、向かう最中に近くに天空の城があると知って行った越前大野城。雲海が広がりいにしえの大野に一瞬迷い込んだかのような幻想的な気分になれるという噂を聞き、ワクワクしていたのですが…そんなに甘くはありませんでした( ̄ー ̄)

天空の城の出現条件と撮影スポット|見たいなら計画的に…

画像引用元:公式サイト

天空の城は、いつでも見られるのかと思いきや、そうではありません(笑)

ここ近年で数えても、2015年9月~2016年4月の間で雲海が確認できたのはは13回、2016年9月~2017年4月の間は14回、2017年9月〜2018年4月の間は13回と、天空の城を拝めるのは非常に希なんだそうです。

天空の城の出現には、下記のような条件があります!

  • 時期…10月〜4月(11月の出現率が1番高い)
  • 時間…日の出頃〜午前9時頃まで
  • 気象条件①…前日に雨が降った等、前日の湿度が高い
  • 気象条件②…前日に放射冷却現象が起こるなど、前日の日中と翌日朝方の気温差が大きい
  • 気象条件③…風が弱い

私が行ったのは、6月。しかも12時頃。見えるはずがありませんね(笑)

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天空の城である越前大野城を拝むためには戌山城址(越前大野城の西、約1km)の南出丸下から見ることができるそうです。

越前大野城に登る!亀山公園(南登り口)から城までレポ

越前大野城への登り口は全部で4つ!各コースの所要時間と見所はこんな感じでした。

  • 二の丸…約20分(百間坂)
  • 北登り口…約20分(西国33ヶ所石仏)
  • 西登り口…約25分(石段)
  • 南登り口…約20分(城門、土井利忠公像)

今回私が通ったコースは、南登り口です!今回は小さな子どもがいたで行かなかったのですが、もしどのコースか迷ったら二の丸スタートの百間坂を通ってみてください♡だって4つのコースで1番きついコースみたいなので(笑)

江戸時代、百間坂は山頂の本丸へ登る唯一の通り道で、敵の侵入を防ぐため狭く急坂だったそうです。他のコースは整備されてやっぱり現代的なのに対し、百間坂は階段で舗装はされましたが、江戸時代から続く歴史的坂道ですからね♡

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越前大野城に辿り着くまでレポ!子供と登る楽しみポイント

城門をくぐり抜けると、生い茂る緑!6月は新緑の季節で、生い茂る木々に凄くパワーを感じました♡紅葉や銀杏の木々葉が並んでいたので、紅葉の秋時期は超絶綺麗なんだろうな〜と感じました♡

そして百間坂の看板が!

二の丸だけじゃなく、この南登り口からも百間坂を通ってお城に行くことができたんですね♡(でも今回は百間坂は通らず、直進。)

歩いていく中で、初代城主の「金森長近かなもりながちか像」があったり。

18代城主であり幕末期に藩政改革で実績をあげ評価された「土井利忠どいとしただ像」や休憩所があったり。

階段があったり。

公園があったり。

4歳、5歳の子ども達が喜んだPOINTは、やはり公園の鉄棒でした。あと探検している気分で先頭切って歩いて楽しそうにしていました。歴史やお城に興味を持ち始めるのは、いつかな〜♡

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越前大野城に到着!城内レポは…

っとそんなこんなで、20分くらい歩き続け、ようやく門に到着!!!

お福池|越前大野城

城の隣には「お福池」と書かれた池がありました。

これは、初代城主の金森長近公の正室お福の名が由来の池だそうで、山なのになぜか地下水が湧く、不思議な池なんだそうです。

石垣|当時のままの越前大野城がここにある

最初でも書きましたが、天守は復元ですが、石垣は当時のまま♡

安土桃山時代にできたものが令和時代の私の目の前に広がっていると思うと、興奮しちゃいます。

天守閣への道|武者登り

天守閣に辿り着くための最後の難関スポット「武者登り」がありました!

登るのは頑張れたのですが、子どもと両手を繋いで降りるのはマジで怖かった(笑)

ここしか天守へ通じる道がないと思っていたのですが、周辺を散歩していると、別の道を発見。どんまい、私でした( ̄ー ̄)

子ども達の膀胱も限界に達し慌ててトイレを探していたら、この緩やかな階段を登った先にトイレがありました!

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天守閣入場!

そしていよいよ、天守閣へ!さっきも書きましたが、残念ながらこの天守は、復元。昭和43年に絵図や同時代の城を参考にしながら、鉄筋コンクリート構造によって再建されたものです。

  • 入館料…大人200円/中学生以下無料
  • 4月〜9月の開館時間…9時〜17時
  • 10月11月の開館時間…9時〜16時
  • 休館日…12月1日〜3月31日

館内…いや、城内には、歴代城主の遺品が展示され、資料館になっていました。

1階から3階は武具や銃、藩旗、婚礼道具、馬具などの遺品や資料が展示されていました。

嫁入りで乗ってきたカゴの小ささにびっくりしたり、兜にうさぎの人形をつけているのを疑問に思ったり…。

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館内は撮影禁止だったので、画像はありません。お見せできなくて残念!

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4かいは展望室になっていて、小京都とも言われる碁盤目状の町並みや日本百名山にも選ばれた荒島岳をはじめとする山々が一望できました!

遺品や資料は一切見なかったけど、一番上まで登って街並みを見下ろして、とっても楽しかったよ!

息子

最後に

いかがでしたか?残念ながら天空の城「越前大野城」を拝むことはできませんでしたが、山を登って越前大野城を堪能することができました♡

天空の城を拝みたい人は、タイミングと運を磨いておくことが必須ですね♡

全然お城の見方とか詳しくない私ですが、とにかく昔と今が繋がる感覚が大好き!

そして帰ってから息子と「越前大野城は何県にあったんだっけ?」「なんでお城を山の上に築いたんだと思う?」など、クイズや問いかけをして遊学旅行を締めくくった私たちでした♡

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